2005年6月に行った、カナダ・プリンスエドワード島旅行。憧れの地であまりの英語のできなさに衝撃を受け、帰国後すぐに準備を開始し、10月からノヴァスコシア州の港町、ハリファックスに語学留学しました。
ちょうど仕事を辞めたタイミングで時間があった、というのが留学を決めた要因ですが、今から思っても無謀だったと思います。
ハリファックスの位置は、カナダの東端です。アメリカ・ニューヨークの北東の位置ですね。
今回は、前回に引き続きカナダに着いたばかりのアタフタ記を綴っていきます。
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【カナダ留学記】35歳女子、初めて単身カナダに乗り込んだ日。TOEIC455点でも会話できず
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ホームステイ先に着いたその日は感謝祭
カナダの感謝祭は10月の第2月曜日が感謝祭の祝日です。その3連休には、親戚や友達で集まって感謝祭のお祝いをするのが習わし。つまり、どの家でもみんなでごちそうを食べるパーティがあるのです。
わたしの学校はその週の祝日明けから始まるので、わたしがカナダに着いたのは直前の土曜日。トロントで不安で過ごした夜を越えて、ハリファックスのホストファミリー宅に着いたのは、日曜日のお昼過ぎでした。

大きなスーツケース2個を携えて到着したわたしは、眠気と緊張でもうボロボロ。
お腹が空いていないか訊かれたものの、どう答えていいかわからずにオロオロしていると、マザーがりんごをむいてくれました。お腹が空いているはずなのに、りんごは味がしませんでした。
部屋に荷物を入れて少しすると、「今夜は感謝祭だから親戚の家のディナーに行くからね。それまで休んでてね」とマザーに言われました。
なんですと!?
着いていきなり?親戚の家?わたしも行くの?部外者だよ??
・・・と思ったものの、そんなこと訊ける余裕もスキルもなく、電子辞書とノートとペンをバッグに入れてマザーについていきました。
今から思えば、感謝祭の週末に来るの?なんですと?と思ったのはマザー側だったのかも・・・。
とにかく、身体も心も極限まで緊張しまくった状態のまま、車に乗せられて約20分。マザーの親戚の家の到着しました。
ティーンエイジャーもいる感謝祭ディナー。いきなりネイティブスピーカーに囲まれる
そのおうちは大きな一戸建てで、裏にはプールもありました。
普通にプールがある家っていったい・・・。
ウサギ小屋ニッポンから出てきたわたしには衝撃でした。
すでにリビングには10人ほどのみなさんが。ティーンエイジャーの3姉妹もいて、興味津々でわたしを見ています。
ひととおり「ナイストゥミートユゥ」を連発した後、食事になりました。
「ここはブッフェスタイルだから、好きなものを取ってね」と言われ、マザーの後について真似するものの、好きなものが何だかワカラン・・・。
緊張して写真を撮ったりする余裕がなかったのですが、覚えている限りだと、
・七面鳥(うわさの・・・)
・マッシュポテト
・ゆで野菜(さやえんどうとか人参とか)
・パイなどのケーキ類
そんな感じだったと思います。
もちろんどれも食べた気がしません。
食べている間はしゃべらなくても済むので気楽と言えば気楽なのですが、もちろん周りの人が話している英語がわかるはずもなく、群衆の中の孤独を目いっぱい味わいました。
3姉妹がキャッキャしてる姿がかわいいなぁと思って見ていたら、わたしに声がかかりました。マザーです。
「マリコ!これはビーツという野菜なんだけど食べたことある?」
それは、赤紫の大根で、ピクルスになっているようでした。ラディッシュみたいなのかな?と思いつつ食べたことはなかったのでトライしました。

すると、3姉妹が「彼女がビーツを食べるわよ!」と色めき立ちました。感覚としては、外国人が納豆を食べるみたいなものでしょう。
正直、ビーツの味は覚えていませんでしたが、平気な顔をして食べたので「おおー!」みたいになったのを覚えています。
一生懸命わたしの英語を聞いてくれたおじいちゃん
とはいえ、ずっと押し黙っているわけにもいかず、質問されることにわからないなりに答えていたのですが、中でもいちばんいろいろ訊いてくれたのがおじいちゃんでした。
電子辞書を使いながら、日本のどこに住んでいるのか、どんな仕事をしていたのか、日本での家族はどんな感じか、など一生懸命話しました。そして、わたしより一生懸命に聴いてくれたおじいちゃん。優しいなぁ・・・とじわりときました。
夜も更け、家に帰る時間になり、くたくたになりながら戻ったはずなのに、その夜はあまり眠れませんでした。
あまりにたくさんのことがいっぺんに起こったので、脳の処理が追いついて行かなかったのでしょう。
そして、寝不足で目覚めた翌朝、またわたしは衝撃の宣告を受けるのです。
「今晩、息子とその友達を呼んで感謝祭ディナーをするからよろしくね!」
マジかー・・・・・・。
まったく聴き取れないまま、感謝祭は終わった
マザーには二人息子さんがいて、下の息子さんは近くに住んでいるためよく家に来ていました。
その晩は、彼とその彼女、そして彼の友達という3人の20代の若者がやってきて、にぎやかなディナーとなりました。
昼間はマザーの料理の手伝いなどをして時間はわりと速く進みましたが、ディナーが始まると、ネイティブスピーカーの普通の会話が速すぎてまったくわからん!
途中で、彼女さんが「話してることわからないと思うけど、すっごくくだらない内容なのよ。本当にたいしたこと話してるわけじゃないの」と何度もフォローしてくれたのが嬉しかったです。
今だったらあの時の会話の内容、わかったかな。
嵐のように終わった感謝祭の週末。翌日からの学校には不安しかない
このように、わたしのカナダ到着直後からの緊張しっぱなしの週末は終わりました。
今となっては、いろいろ体験させてくれたマザーに感謝しかないのですが、当時は「うあー、なんかいろいろスピーディだなぁ」とうろたえてばかりでした。
カナダに行ってから、日本での自分が「思い立ったらすぐ行動!」ではなく、「まず行動するかどうかを考えてから動く」習性で生きていたことに気づきました。カナダだからそうなのか、はわかりませんが、現地の人は「やろう!→本当にすぐやる」「行こう!→すぐ予定を立てる、そして本当に行く」が多かったように感じます。
嵐のような(わたしにとっては)週末が終わり、翌日からは学校です。
偶然にもステイ先のお隣に、やはり同じ日に日本から着いた20代の女の子がいて(トロント空港から一緒になりました)、同じ学校に通うことがわかっていました。ステイ先に着いた翌朝にお隣さんのホストファミリーがその彼女とわたしを連れて学校までの案内をしてくれていました。
なんと、学校まで徒歩数分という好立地!
朝は誘い合って学校に行こう、となっていたので心強かったのですが、それでも緊張は続きます。